
顕れるイデア編 騎士団長とえんどう豆の串揚げ 焼とりの八兵衛 天神店(中央区今泉)
村上春樹『騎士団長殺し』の世界
八兵衛名物「えんどう豆の串揚げ」
「僕もこの料理のことが理解できればと思う。でもそれは簡単なことじゃない」
それはあの日、この店で私が「えんどう豆の串揚げ」(260円)について騎士団長に向かって発した言葉だ。彼はこう返した。
「たしかに、それほど簡単なものではあらない。あたしはえんどう豆なのか? いやいや、ちがうね、諸君。あたしはえんどう豆ではあらない。あたしはただのイデアだ。あたしのなかに答えはあらない。あなたのちかくにある」
「絶妙な火入れね。とてもきれいな緑だわ。はるか遠くからも、豆の甘みがやってくる。不思議ね」
彼女はいろいろな角度からエメラルドグリーンの逸品をつぶさに観察した。それからまた唇と舌を巧妙に、貪欲に、使う。我々のあいだにしばらく意味深い沈黙の時間が降りた。たしかに「何か」がはるか遠くにある――。周りでは若いカップルたちが“ぼんやりとした愛”をお互いに確かめあっている。
すっかり空気となじんで柔らかくなった“きめ細やかな緑”を、彼女はふたたび舌のうえで遊ばせる。我々は、まるで初対面でベッドインした中年の男女のように、時間をかけて、ていねいに、ゆっくりと、味の変化を楽しんだ。
頭のなかに流れるのは、クレーメル指揮、ウィーンコンツェルトハウス弦楽四重奏団の演奏するシューベルトの弦楽四重奏曲十五番。チャイコフスキー、ラフマニノフ、シベリウス、ヴィヴァルディ、プッチーニ、ラヴェルでもない、シューベルトだ。
「何か」――それが分かるまでには我々は時間を必要としている。我々は時間を味方につけなくてはならない。
家に帰ると冷たいシャワーを浴び、シーバスリーガルのオンザロックを求めて食卓に向かう。
すると彼女が壁掛け時計のねじを無言で、一定のペースで巻きあげていた。
そうやって世界の矛盾や欠点を少しずつ元に戻すのだ、そうやって。
だからといって「何か」が分かるわけではなかった。
彼女は、私の舌が鈍感だからいけないといったことを――ごく簡単に言えば――述べた。
「わからないな」
私は肩をすくめて少し大きめの声でつぶやいた。でも状況は何も変わらなかった。私はもう一度あのひと串を食べなければならない。それは純然たる事実として、そこにあった。
顕れるイデア――。
「騎士団長はほんとうにいたんだよ。君はそれを信じたほうがいい」
■店舗情報

店名 | 焼とりの八兵衛 天神店 |
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ジャンル | 焼き鳥 |
TEL | 050-5869-9743 |
住所 | 福岡県福岡市中央区今泉2-5-28 |
交通手段 | 西鉄バス今泉1丁目より徒歩3分 |
営業時間 | 18:00~25:00 |
定休日 | なし |

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